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なべて東洋人が口下手なのは、「昔から科挙などで筆記試験に慣れてきたせいだろう。
それに反し、西洋人は口頭試験で鍛えられてきた」と、ここまでは私と同じ論旨なのだが、比較文学者の平川祐弘先生は、「それは紙が少なかったからだ」という。

西洋では紙が非常な貴重品で、「第二次大戦の米国兵は一日一回四片の割り当て」「十八世紀に来日した西洋人は日本人が和紙で鼻をかんで捨てるという贅沢に一驚している」。
 「ケンブリッジ大学で筆記試験が始まったのは、数学は一七四七年、古典は一八二一年、法律と歴史は日本歴の明治五年にあたる一八七二年と大変遅い」というのだ。

漢字圏人間の脳の情報入力が視力経由に依存している割合が高く、西欧人の脳は聴力経由の依存度が高いということは以前から指摘されている。
西欧のアルファベットそのものが、音声を文字化したもので、文字そのものが聴力モードなのだ。

[心臓に毛が生えている理由](米原 真理)より'10/09 

 今でも日本はティッシュペーパーが安価



デパートの高島屋の名称は、滋賀県、湖西のほうの山岳地帯にある高島郡からとられている。

[歴史を紀行する](司馬遼太郎)より'11/01 

ヘー・ ・ ・



五個荘村(ごかしょうむら・今は町だそうだ)・・・・江戸時代以来成功した近江商人の最も多く出た村     作家の外村繁氏の生家の外村家というのは五個荘でも代表的な名家である。

[歴史を紀行する](司馬遼太郎)より'11/01 

 ホー・ ・



日本人がその居住地を離れて遠くへ移動することがさほど苦痛でなくなったのは、豊臣政権の成立からであり、それ以前は生まれて生えたその地帯に日本人どもは動くことがなかった。そういう上代、中世にあって、国から国へと行商して歩いたのは近江人であり、そういうことだけが近江人の習慣になっていたというのは、やはり菅野氏のいうように、「商人的素質を持つ高麗の帰化人」であるがためかもしれない。

[歴史を紀行する](司馬遼太郎)より'11/01 

フ--ン・ ・ ・



近江ドロボウに伊勢コジキ(江戸時代の地口)
 近江も伊勢も、戦国時代から徳川期を通じて京、大阪、江戸の三都の商業界で活躍する有力商人たちの故郷である。百姓や生産者たちのひがみ根性からみれば、つねに商人は盗賊同然のアザトサにみえるのであろう。
中世の西洋でも、「盗賊の紋章と商人の紋章とは同じである」といわれた。

[歴史を紀行する](司馬遼太郎)より'11/01 

 ウ--ン・ ・



蒲生氏郷は、故郷の近江日野から伊勢十二万石に転封させられ、松坂の城主になった。この時氏郷は田園のなかに都市区劃をし、さらにこの新城下を商業都市にするために近江日野郷から、日野商人をほとんど、根こそぎ移住させた。「伊勢商人」の発祥である。

松坂におけるこれらのきそをつくった氏郷はのち会津盆地に転封させられたが、ここでも漆器その他の物産を開発し、奥州における経済政策の最初の根を下ろした。

氏郷がすぐれた経済政策家であるとすれば、同郷の石田光成はすぐれた経済技術者であるといえるであろう。彼は自身の創始的技術かどうかは別として豊臣家の財政を運用するのに、近代的な--ちょっと信じられないほどのことだが--簿記のようなものを用いているのである。

[歴史を紀行する](司馬遼太郎)より'11/01 

フーン・ ・ 





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